2年ぶりに体重を計ってみた話と、予測と結果に対するセンサー感度の話。

ご無沙汰してます。なにも更新していない割にはGoogle Analyticsを見ると結構お読みいただいているようで、ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちが半々というところです。

特に、ロードバイクの自家塗装と、ワラーチの作り方と、富士山を0合目から日帰りで登った記事のアクセス数が飛び抜けて多いので、そういうマニアックな記事のほうがウケがいいのでしょうか。

残念ながら、最近はチャレンジングな生活というよりもっぱら地味な生活を送っているので、以前のような「難攻不落の地を攻めてきたぜ!」みたいなのはないですね。ただ、色んなセミナーに参加したり、コミュ障の僕が積極的に人に会ったりするようにしたり、そういう意味ではチャレンジングな日々を送っているのかもしれません。自己学習の時間も増やしているので以前より知識も蓄えられています。

ただ、インプットしてアウトプットしない癖は良くないし記憶として定着しにいくいので、やはりブログを通してアウトプットしていくことは大切だと感じています。(寝たらほぼ忘れてる)

そういえば、2年ぶりに体重を計ったら体重が全く変わっていなかったことは面白かったです。本当は毎日計りたいというか計るべきなんでしょうけど、持っている体重計がスタジオのInbody(業務用の体成分計)しかなく、起動するまでに5分くらいかかります。体重に興味がないというより、それが面倒なので2年くらい体重を計っていなかったという経緯です。

ただし、超正確に計測できるので言い逃れできない

ただ、体重を計らないでも「今の自分はおそらくこのくらいの体重だろう」という感覚を鋭くしておくことって大切かなと。絶対体重増えてるだろうと思って増えてたのならまだいいんですよ。でも、たぶん体重変わってないだろうと高を括って実際に計ってみたら増えてたのとでは、意味合いがだいぶ変わってきます。

「できないと思っててできない」と「できると思っててできなかった」のでは前者のほうがまだマシなわけで。予測と結果のすり合わせですよね。そのセンサーが鈍ってくると色々危ないわけで。簡単にいえば「自分なら大丈夫」という過信に繋がったりする。”昔取った杵柄”というやつです。

先日公園で鉄棒を見つけて、約25年ぶりにくらいに逆上がりしてみたんですよ。結果はできたんですが、昔できた運動を何十年ぶりにかにやってみることって面白いなと。できるかできないかが重要ではなく、事前の予測と結果が擦り合っているかが重要ということです。

脳科学的なことはよくわかりませんが、脳内で強烈にイメージできていることは大切かなと(刃牙的な)。そのイメージによって作り出された指令が全身の筋肉に伝わって正確に動きを再現できること。その回路を鈍らせないように日頃から意識を内側に向けてあげることは大切だと感じています。

もしこれで太ってたなんて言ったら危うくダイエット生活がはじまるとこでしたが、とりあえず一安心。だいたい自分の摂取カロリーというか食べる量は変わっていないし、運動量が少ない時は食べる量も自然に減るわけで太るわけがないんですよね。食べる量が変わらない、あるいは増えるという人は要注意ですけど。

食事の量なんてのは、脳内で自動計算してくれるコンピューター的なものが備わっているというのが僕の見解なんですけど、その話をすると延々に終わらないので、またいつか書きたいと思います。

その場で咄嗟に思いついたことはRollbahnにアナログで書き留めて、あとでブログでダラダラまとめていくというスタイルにしていこうと思います。

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