春に伊勢神宮にお参りした時、授与所で神棚が売られていることが気になりました。
それから東京の自宅に戻ってからも、ずっと神棚のことで頭がいっぱいの日々を送っていました。
理由は「なんかいいな」という、とんでもなくライトなもの(笑) 部屋にあったらカッコいいし、神様がいる暮らしってなんかいいな、という今思えば本当に軽々しい理由です。そもそも神棚がどういうものなのかもよく知らない。そういえばおじいちゃんおばあちゃんの家にあったな、くらいの認識。
ほんと「日本人としてヤバいな」という恥ずかしさといいますか、ある種の危機感すら感じました。日本人なのに日本のことを知らない恥ずかしさは、昔、海外留学をしていた頃にも感じました。この国の成り立ちや歴史、信仰、土地、文化についての知識が無さすぎるなと。
唯一の救いといえば、学習意欲と行動力、好奇心だけは人一倍強いということです。元々、神社は好きだったので、これを機に神棚についてもきちんと学び、神棚を祀る決心をしました。
まずそもそも、神棚ってどこで買うんだろう?というところからスタートです。知識ゼロ。
色々調べてたどり着いたのが、静岡木工さんが展開している『神棚の里』です。ホームページやYouTube、Instagramなどで、とてもわかりやすく解説してくださっている点に惹かれました。また、扱っている商品の種類が豊富で、幅広い選択肢の中から選べる点も良いと感じました。実店舗が日本橋(コレド室町)にあるということで、数日後には足を運んでいました。


ということで、日本橋に到着。言わずもがな、江戸五街道の起点です。日本橋からお伊勢参りに向かう人の起点だった場所です。伊勢神宮で神棚に惹かれ、神棚を買いに日本橋まで来る。運命的なものを感じますね。


落ち着いていて、とても綺麗な店内。店員さんが親切にレイアウトしてくださいました。実物を見ないとサイズ感がわからないので、実店舗に足を運んで正解でした。棚板や神具にも種類やサイズがあり、希望の神棚に合うものを選んでいただきました。

そして、こちらがマイ神棚です。
いくつか検討した結果『木曽檜』でできているものを選びました。木曽檜は高級木材で、年間伐採量が国によって厳しく定められています。
そして、ここがポイントですが、伊勢神宮の御造営用材としても使われています。やはり天照大御神がお住まいになるのだから、ここは伊勢神宮と同じ素材にしたほうが、天照大御神も住みやすいのではないかと考えました(完全に僕の勝手な想像です)。木曽檜の神棚になると値段も上がりますが、一生大切にしていくものですし、今後買い換えることはまずないと思うので、自分が愛着を持てるものを選びました。
もちろん配送もしていただけますが、あまりのテンションの高さに、その日のうちに電車で抱き抱えて帰りました。親切に教えてくださった店員さんに感謝です。

そもそも神棚とはなにか?
神棚というのは、わかりやすく言うと『ミニ神社』です。神社は神様のおうちですから、神棚を祀るということは、家の中に「神様のミニハウス」を設置するということです。
一般的に神棚というと、全部をまとめて神棚と呼びますが、厳密にはそれぞれに名称があります。

こちらが宮形(みやがた)です。ちょうど神様のおうちに当たるメインの部分です。この中に、神社でお受けした御神札(おふだ=神様)をおさめます。
宮形にはいくつかタイプがあります。私のは『三社造り』というもので、中央と左右に御神札が入るタイプです。祀り方にはルールがあります。

【中央】天照皇大神宮:伊勢神宮の御神札(天照大御神)を祀ります。
【右側】氏神神社:自分が住んでいる地域を守ってくださる神様の御神札を祀ります。
【左側】崇敬神社:個人的にご縁を結んでいきたい神様の御神札を祀ります。
三社造りの場合は上記のようにお祀ります。一社造りの場合は、手前から神宮大麻 → 氏神神社 → 崇敬神社の順に重ねてお祀りします。

神棚にお祀りする道具一式のことを『神具(しんぐ)』と呼びます。一般的には水玉(水を入れるもの)、皿(米と塩を入れるもの)、瓶子(お酒を入れるもの)、榊立て、鏡を置きます。その他、より丁寧にお祀りするために灯篭や真榊(まさかき)を置くこともあります。

私は、中央に八足台(はっそくだい)と呼ばれる台座を置き、その上に『(左から)水玉、米、塩』を置いています。その左右にお酒や榊、真榊、灯籠を置いています。

こちらが真榊(まさかき)です。真榊というのは「三種の神器を飾った神具」のことです。左に剣、右に鏡と勾玉が飾られています。神社でも大きな真榊が祀られていることがあります。

神棚の上部には、注連縄(しめなわ)を飾りました。そこから紙垂(しで)という紙を垂らしています。注連縄は雲を、紙垂は雨を表し、古来からこの国の五穀豊穣を願ったとされています。
また、注連縄には神様の住む世界と、私たち人間の住む世界との境界を示すという鳥居と似たような意味もあります。

もし、神棚の上に部屋がある場合は「雲」と書かれたシールを貼ります。これは神様の上には誰もいないことを表すためのものです。
その他、東か南の方角に向けてお祀りする、1日と15日にすべての神饌をお取り替えする、など幾つかルール(強制ではない)があります。
ここが大切ですが、神棚の祀り方に絶対的なルールはありません。神棚が大きいほどご利益があるとか、小さいからご利益がないとか、そういうことはありません。お部屋の広さや予算に合わせて、好きな神棚を選んでいただいて問題ありません。大切なのは『神様を大切にする気持ち』です。
祀るだけ祀って埃だらけ、神饌をお取り替えしない、なんてことはないようにしたいですね。
神社にも神棚にも共通して言えることだと思いますが、参拝したからといってご利益があるとは私は考えていません。そもそも、ご利益を期待したり、願い事をする場ではなく『誓いを立てる場』だと考えています。そのほうがしっくり来ます。
例えば、商売繁盛という考え方があります。「たくさんお客様が来てくれますように」という感じでお願いするかと思います。それは”願い”ですね。言ってみるなら他力本願です。そうではなく『たくさんお客様が来てくれるように、真面目に仕事に向き合います』という感じで”誓い”を立てます。そっちのほうが現実的ですし、頑張ろうと思えますし、理に適ってはいないでしょうか。
他にも、健康祈願というのもありますね。これも「今年一年健康に過ごせますように」と願うのは他力本願な考え方です。しかし『今年一年健康に過ごせるように、規則正しい生活習慣を心掛けます』という考え方はどうでしょうか。これは他力本願ではなく、極めて能動的な姿勢かと思います。

いくら神様といえど、一人一人の国民の願いを聞いていたらキリがありません。それに、多くの人は初詣くらいしか神社に行かないかと思います。初詣すら行かない人も大勢いるわけです。それなのに、たまに参拝して「商売が繁盛しますように」「健康でいられますように」なんて、都合が良すぎるにもほどがあると思うのです。それもたかだか100円くらいのお賽銭だと思うのです。どんなに優しい日本の神様でも『たまに来たと思ったらなに?都合良すぎじゃない?』と思うのではないでしょうか。普通は怒りますよ(笑)
お世話になった恩師や先輩のご自宅に突然訪問して、ジュース一本買えないお金をお渡しして「お願いごとを聞いてください」と言っているのと本質的にはまったく同じだと思います。
神棚を祀るということは、神様にいつもそばに居ていただき、その存在を意識することで、日々の自分の言動を戒めるということだと思います。日々謙虚に努力を重ねる人には力を添えてくださる存在だと考えています。
それ故、私はスピリチュアル的な考え方にはまったく興味がないのです。これを身に付けると運気が上がる、ここの神社に行くとパワーをもらえる、5円玉を入れるとご縁がある、といった考え方にはまったく興味がない。
なので、神社も神棚も「自分を見つめるための鏡」だと思うのです。正面に神鏡が置かれているのも、心を清め、偽りのない姿で神様と向き合うための考えられています。心の背筋がピンと伸び、自分が自分でいられる感覚を取り戻すことができます。
日本には八百万の神(やおよろずのかみ)と呼ばれ、すべてのものには神様が宿るという考え方があります。神棚をお祀りすることで、人や物、食べ物を大切にするという日本人が古来から大切にしてきた精神を思い出させてくれます。
