「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」
江戸時代に流行したお伊勢参りは、伊勢の神宮に参拝した後は、朝熊山の金剛證寺に参拝するのが習わしとされていました。

片参りなんて言われたら、それはもう登るしかありません。
前回も登ればよかったのですが、東京から自転車で来たのでビンディングシューズで登山するのはさすがに無理!ということで諦めました。一応、山頂までは伊勢志摩スカイラインという自動車専用道路で行くこともできるのですが、自分の足で登りたいのでこの選択肢も却下。
今回はそのリベンジを兼ねて、旅の締めくくりとして自分の足で登ってきました。

伊勢市駅から乗車し、近鉄鳥羽線の朝熊駅で下車。


住宅街を抜けて、数分で登山口に到着。登山道には『朝熊岳道』という名前がついています。
標高は555m。山頂までは普通に登れば2時間くらい。高尾山より少し低いくらいの山なのでそんなに大変ではない…
はずなのですが、40度近い猛暑でバテバテです。


冗談なしで、富士山よりキツく感じました。真夏の低山は本当に過酷です。文句を言っても仕方ないので、黙々と登ります。

登山道には町石と呼ばれる石の標識が1〜22まであります。1町が約100mなので、2.2kmの登山道です。

途中でビューポイントがあります。伊勢湾が綺麗に見えます。


ということで、なんとか山頂に到着。
八大龍王社が朝熊山の最高地点です。
そのまま金剛證寺に向かいたいところですが、お昼を食べてからゆっくり回りたいので、まずは展望広場に向かいました。



山頂からの大パノラマ。伊勢湾や紀伊半島を一望することができます。



最後に金剛證寺で御朱印をお受けしました。




10分ほど歩くと奥の院もありますので、そちらでも別の御朱印をお受けすることができます。
これですべての参拝が終わりました。茶屋のおばちゃんとお話をして、「完璧です!」とお褒めの言葉をいただきました。ありがたいですね。
帰りも同じルートで朝熊駅まで戻りました。

余談ですが、朝熊駅の周辺であることに気付きました。どの民家の玄関にも『蘇民将来子孫家門(笑門)』と書かれた注連縄が飾られていたのです。
とても気になったので、帰って調べました。
その起源は、天照大御神の弟神である「須佐之男命」です。
蘇民将来のお話
ある日、旅をしていた須佐之男命は宿を探していました。
その時、巨旦将来という人物に出会います。彼はとても裕福でした。そこで「今晩、泊まらせてくれないか?」と、お願いをしたところ断られてしまいます。
仕方なく、次にお願いをしたのは巨旦の弟の蘇民将来でした。彼はとても貧しかったのですが「どうぞ泊まっていってください」と、須佐之男命を手厚くもてなしました。
そのお礼として、茅の輪を手渡し「これを腰に付けていれば、決して疫病にかかることはない。今は貧しくても、子孫は必ず繁栄するだろう」と告げました。
その数年後、意地悪だった巨旦と、その村の住人は疫病で滅亡した。
というお話です。
ちなみに、その時に手渡した茅の輪ですが、これが現在も全国の神社で行われている『茅の輪くぐり』の起源とされています。


暑くて過酷な朝熊山登山でしたが、やはり自分の足で歩いていると色々な発見があるから面白いですね。


以上で、第2回伊勢神宮参拝の旅は終了です。ありがとうございました。
おまけ


東京への帰りに名古屋の熱田神宮に寄ろうと思ったのですが、朝熊山の案内図で見た「おちんこ地蔵」というワードがあまりに気になって探していたら時間切れになりました。またいつかの機会に。

