野生の勘を研ぎ澄ます

「登山ですか? なぜまた?」

「なんか、野生の勘が戻るような感じがするんです」

「野生の勘ですか(笑)」

番組名も俳優さんの名前も忘れてしまったけれど、少し前に、こんな感じのトークをしている番組を見たのです。野生の勘ですか(笑)なんて、まわりの出演者からはネタのように笑われていましたが、これ決して笑いごとではないと僕は思うんです。常日頃、僕が思っていることとと同じことを仰っていたので納得してしまいました。

僕が山に登るのは、もちろん大自然の空気に触れることや、違うフィールドに足を運ぶこと、山に登るという行為そのもの、そして自分自身のマインドを高めることが好き、という理由があるからですが、この「野生の勘を取り戻すため」でもあるのです。

近所の低山からアルプスなどの高山までソロで登ることがほとんどなので、何かあったらすべて自分で解決しなくてはならないので「なにもないように登ること」を常に意識しています。

「山登り」と伝えると、お弁当と水筒だけ持って行くハイキング的なイメージで見られることもありますが、決してそうではありません。山は「聖域」だと考えていますので、かなりの緊張感を持って登るようにしています。もちろん、ピリピリしているわけではありません。ただ、風の音だったり、枝がポキッと折れる音、小動物の足音、人の気配などにはかなり敏感です。さらに熊被害も報告されていますし、いつ落石が当たるかもわからない。常に上下左右前後斜め、360度見回しながら歩いているのです。

そうしているうちに「野生の勘」のようなものが研ぎ澄まされていくんです。その差がはっきり分かるのが、下界に下りた時です。

例えば、よくお母さんが子供に「ちゃんと前見て!」と注意するシーンを見かけます。もちろん、子供がキョロキョロしているからそう言っているのでしょうが、僕としては「左右」もちゃんと確認してほしいのです。

かなりお節介ではありますが、子供を守るべき存在であるお母さんが、左右から車が来ていることに気付いていないことがあるのです。車を運転する方ならわかりますが、大きな交差点などでは、歩行者用の信号と自動車用の信号にタイムラグがあるので、歩行者が渡っているところにギリギリ黄色信号で走ってきた車が突っ込みそうになることがあるのです。

試しに、横断歩道を渡る時、周囲の人をよく観察してみてください。青信号に変わるやいなや左右を確認してから渡る人が何人いるでしょうか。色んなパターンがあるのですが、多いのはスマホを見ながら渡る人です。この時点でアウトなわけですが、問題なのは「信号が青に変わったのを、自分の目で確認しないで渡る人」がいること。つまり、目線はスマホに向けつつ、周辺視野(横目)で「まわりの人が動き出したな」と感じて渡る人です。

さらに問題なのが、信号無視です。百歩譲って左右から車が来ていないのであればまだ良いとして(全然良くありませんが)、不思議なことに、信号無視をする人ほど「左右を気にしないで渡る人」が多いのです。それこそスマホを見たり、イヤホンをつけていたり、気のせいかそういう人が多い。おまけに、赤信号なのに車道にはみ出て待っている人もいますね(男性に多い)。

不意に後ろから突っ込まれたなど、どれだけ気をつけていても、世の中には防げない事故はあります。しかし、一方で「もしかしたら防げた事故」だってあるはずなのです。事故というのはどちらか一方さえ気をつけていれば、ある程度は防げるものだからです。防ぐというよりは「リスクを低減させる」という表現のほうが適切かもしれません。歩きスマホにしても、どちらか一方が避けているから衝突せずに済んでいるわけです。

ちなみに、僕は信号待ちをする時、必ず電柱の陰にいるようにしています。これは、いつ車が車道を外れて突っ込んでくるかわからないから。そこまでする?と思うかもしれませんが、実際にそうした事故は起きていますし、被害者も「まさかこんなところで自分が」とも思っていなかったことでしょう。

あとは電車のホーム。自分が先頭にいる時は一歩下がるのはもちろん「片足を前に出しておく」というのも大切かと思います。故意にではなくとも、後ろから誰かに当たられた時でも踏ん張りが効くからです。こうした危険予測はとても大切だと思うのです。

「1件の重大な事故の背後には、29件の重大な事故には至らなかった軽微な事故、さらにその背後には300件の事故寸前だったできごと(ヒヤリハット)が隠されている」というハインリッヒの法則が有名ですが、野生の勘を研ぎ澄ますということは、ヒヤリハットへの注意力が磨かれると思うのです。

人間社会で暮らしていると「獲物に狙われる心配」というのはほとんどありませんから、そういう意味では、野生の動物のほうが遥かに優秀だと思うのです。

詳しい脳科学については分かりませんが、はっきりと分かるのは、人間社会に慣れすぎると「野生の勘」が鈍っていくのは確かでしょう。自分を守るためにもこの感覚は常に研ぎ澄ませておきたいものです。

事故は危険箇所ではなく「安全だと思っている場所」で起こる。

目次