伊勢・奈良の旅、3日目。
この日は明日香村から橿原へ。
飛鳥浄御原宮、石舞台古墳、天武・持統天皇陵、藤原宮跡と、飛鳥時代の歴史を辿りながら、後半は天香山、橿原神宮、畝傍山へ向かいます。
前日までの大雨が嘘だったかのような天気。
古代の日本が形づくられていった場所を、自分の足で巡ってみます。
飛鳥浄御原宮|『古事記』につながる場所
最初に訪れたのは、明日香村にある飛鳥宮跡。
のどかな田んぼの中に、かつて宮が置かれていた跡が残っています。

2026年の7月には、この飛鳥宮跡を含む「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録されたばかりです。
天武天皇の時代、この場所には飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)が置かれていました。

そして、ここは私が今回どうしても訪れたかった場所のひとつ。
天武天皇は、稗田阿礼(ひえだのあれ)に、帝紀や旧辞など古くから伝わる歴史を読み習い、記憶するよう命じました。
その内容が後に太安万侶(おおのやすまろ)によって書き記され、712年に『古事記』として完成します。
今、私たちが日本の神話や神々の物語を知ることができるのも、こうして遠い昔から伝え残してくれた人たちがいたからです。
私自身も『古事記』に触れたことで日本の神話に興味を持ち、神社を巡り、その背景にある歴史を知りたいと思うようになりました。
そして今、その始まりにつながる場所に自分が立っています。

もし稗田阿礼と太安万侶がいなかったら、今の自分はここにいなかったかもしれない。
そう考えると、目の前に広がるのどかな田園風景も、まったく違って見えてきます。
前日までの大雨が嘘だったかのような静かな空の下、しばらくこの場所に立ち、目を閉じながら1300年以上前の飛鳥に思いを馳せました。
石舞台古墳|飛鳥を代表する巨大古墳
続いて訪れたのは石舞台古墳(いしぶたいこふん)。
巨大な石を組み上げた石室は迫力があり、実際に中へ入ることもできます。


被葬者は確定していませんが、飛鳥で大きな力を持った蘇我馬子(そがのうまこ)の墓ではないかと考えられています。
その後、蘇我氏は中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌足らによる乙巳の変をきっかけに衰退し、大化改新へと時代が動いていきます。
歴史の大きな転換期を感じる場所でした。
天武・持統天皇陵|飛鳥時代を築いた二人
続いて訪れたのが、天武・持統天皇陵。
天武天皇と、その皇后で後に即位した持統天皇が合葬されています。

天武天皇は『古事記』編纂につながる事業を始め、持統天皇の時代には藤原京への遷都が行われました。
また、伊勢神宮の式年遷宮も天武天皇の発意によって制度化され、持統天皇の時代に第1回が行われたとされています。
伊勢から奈良へと巡ってきた今回の旅。
ここでも、それまで訪れてきた場所とのつながりを感じます。
観光ではなく、お礼とご挨拶をするような気持ちで手を合わせました。

藤原宮跡|1300年前の都を想像する
次に訪れたのは藤原宮跡。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の写真でもよく目にする、広い草原と赤い柱が印象的な場所です。

今では何もないように見えますが、約1300年前、ここには日本初の本格的な都城とされる藤原京が広がっていました。
赤い柱は、かつて建物があった位置を分かりやすく示したものです。
宮殿も都も今は残っていません。
それでも、周囲にそびえる大和三山をはじめとした山々の姿は、当時と大きく変わっていないはずです。

持統天皇たちも、この場所から同じ山々を眺めていたのでしょうか。
そんなことを考えながら、しばらく景色を眺めていました。
天香山神社|神話に登場する波波迦の木
藤原宮跡から向かったのが、天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)。

境内には波波迦の木(ははかのき)があります。

『古事記』の天岩戸神話では、天照大御神が岩戸に隠れた際、天香山の鹿の肩の骨と波波迦の木を使って吉凶を占ったとされています。
参拝を終え、そのまま背後にある天香山へ登ってみることにしました。

天香山へ|丹生川上へとつながる『日本書紀』の物語
天香山は、畝傍山・耳成山と並ぶ大和三山のひとつ。
15分ほど歩くと山頂へ到着しました。


決して高い山ではありませんが、『古事記』や『日本書紀』にもたびたび登場する、古くから神聖視されてきた山です。
『日本書紀』に出てくるのが、神武天皇の東征にまつわる話。
神武天皇は東征に際し、天香山の土で皿「天平瓮(あめのひらか)」や壺「厳瓮(いつべ)」などを作り、丹生川上で天神地祇(てんじんちぎ)を祀ったと伝えられています。
そして私は、その丹生川上を前日に巡ったばかりでした。
丹生川上神社の上社・中社・下社を巡った翌日に、今度はその物語に登場する天香山を歩いている。
昨日は丹生川上。今日は天香山。
別々の場所として訪れていたものが、『日本書紀』の中ではしっかりとつながっていました。
山頂には国常立神(くにのとこたちのかみ)を祀る国常立神社。

短い登山でしたが、古くから神聖視されてきた山を自分の足で歩くことができました。

橿原神宮|日本建国の地へ
天香山を下り、次に向かったのが橿原神宮(かしはらじんぐう)。

初代・神武天皇と皇后をお祀りする神宮です。
『日本書紀』では、神武天皇が橿原宮で即位したと伝えられており、橿原は日本建国の地とされています。
今から2600年以上も前のことです。
境内へ入ってまず感じたのが、その広さ。


想像していた以上に広大な神域が広がっています。
ここから日本が始まった。
そんなことを考えながら、ゆっくりと参拝しました。
おみくじを引いたら「大吉」でした。これもなにかのご縁でしょうか。

そして、橿原神宮の背後にそびえているのが、畝傍山(うねびやま)。
登ることができるということで、そのまま向かってみます。

畝傍山へ|この日2つ目の山登り
天香山に続いて、この日2つ目の山登り。
山頂までは30分ほどでした。


途中には、かつて畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)が鎮座していた旧社地があります。
一時期は畝傍山の山頂に鎮座していましたが、橿原神宮や神武天皇陵を見下ろすのは畏れ多いとして、西麓へ遷されたと伝えられています。
少し道が分かりにくかったものの、せっかくなので現在のお宮にも立ち寄ってみました。

天香山と畝傍山。
この日は結果的に、大和三山のうち二つの山を歩く一日になりました。
神武天皇 畝傍山東北陵|最後に御陵へ
畝傍山を下り、最後に訪れたのが神武天皇 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)。

今回の旅では、神社だけでなく、ゆかりのある天皇の御陵にもできるだけ足を運ぶことにしていました。
宮跡や神社を訪れ、その時代を生きた天皇の御陵にも足を運ぶ。
そうすることで、これまで名前だけで覚えていた人物や出来事が、少しずつ実際の土地と結びついていきます。
この日は飛鳥浄御原宮から始まり、石舞台古墳、天武・持統天皇陵、藤原宮跡へ。
そこから天香山を歩き、橿原神宮、畝傍山、そして神武天皇陵まで巡りました。
振り返ってみると、古代国家が形づくられていった飛鳥から、日本の始まりとされる橿原へ、時代を遡るように歩いた一日だったように思います。
そして前日の丹生川上から、この日の天香山、橿原へ。
別々に見えていた場所が、『古事記』や『日本書紀』を通して少しずつ一本につながっていきました。
飛鳥浄御原宮で感じたことも同じです。
1300年以上前に残された物語があるから、私は神話を知り、神社を巡り、こうしてその舞台を歩いています。
歴史を知ってからその土地を歩くと、何気ない山や景色まで違って見える。
それが、今回の旅であらためて感じたことでした。

