『幸せは麻薬と同じ』

「この人なら私のことをきっと幸せにしてくれる」

これ、僕が一番嫌いな考え方です。というのも、自分の幸せは自分で作るもの、という考えを持っているからです。

人ってつい相手に期待するじゃないですか。「この人はきっと素敵な人だ」「この人なら私のことをわかってくれる」「この人なら私のことを幸せにしてくれる」など。でもそれって、すごく自分勝手な考えだと思うのです。もし想像している姿と違えば「こんな人だと思わなかった」となる。そういうことって恋愛に限らずいくらでもあると思います。

ただし「相手に期待しないこと = 信用しないこと」ではないということ。あくまで自分が期待していた姿と違っても、その人のありのままの姿を受け容れる姿勢を持つことが大切なのだと思います。

そして、まずそもそも「幸せになりたい」という発想に対して懐疑的なのです。なぜなら、もう充分幸せなはずだから。幸せの基準ってもちろん人それぞれですが、僕は屋根があって普通にごはんを食べることができれば、もう幸せだと考えているのです。それに、一緒に暮らせる家族やパートナーがいればもう言うことはないでしょう。

「ごく当たり前の生活を送れることが一番の幸せ」だと考えています。

昔からこういう思考だったわけではなく、20代後半で登山をはじめたくらいから考えが変わってきました。僕の山行スタイルは『ソロ x テント泊』なので基本的に孤独です。今まで足を踏み入れたことのない超広大なフィールドに身一つで繰り出すわけですから、それはもう不安なわけです。登山というのは他のどのスポーツよりも不確定要素が多く「死」を間近に感じるスポーツです。冗談ではなく、一つ選択を誤れば文字通り、死にます。

大自然のスケールに比べて人間は本当に小さな存在です。あんなにも過酷なこと、不安なこと、怖いことはかつて経験したことがない。けど、もちろんその中には好奇心だったりワクワクする気持ちがあるから挑戦するわけなのですが。そうした感覚は「経験した人にしかわからない世界」だと思います。だから、無事に下山できた時の安堵感は、他に例えようがないほどに大きい。そういう意味でも良い人生経験になりました。

元々「いい宿に泊まりたい」「豪華な食事を食べたい」という欲求はないのですが、登山を通じて大自然に向き合うにつれて、そうした欲求がさらになくなった気がします。だから、なにを食べても美味しく感じますし、贅沢なんかほとんど言わなくなりましたよね。その感覚ってとても大切で絶対に忘れてはいけないと肝に銘じています。

現代人に不足しているものを一つ挙げるなら「幸せを感じる力」だと思います。何事もなく平和に暮らせることがもう充分幸せなことなのに、それ以上なにを望むというのか。大切な家族やパートナーと一緒に暮らせることが一番の幸せであるはずなのに、それ以上なにを望むというのか。

「幸せは麻薬と同じ」だと思っています。一度手を出せばもっと欲しくなるし、その欲求は追い求めればキリがない。

あなたの顔を見れること、声を聞けること、手の温もりを感じられること、一緒の時間を共有できること。それが一番の幸せなんじゃないでしょうか。

彼女の顔を見れること、声を聞けること、手の温もりを感じられること、同じ景色を見れること、一緒の時間を共有できること。それが1番の喜びなんじゃないでしょうか。それ以上なにを求めるというのでしょうか。何もしなくてもいい。ただ一緒にいてくれるだけで『ありがとう』なのです。

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